-障害者GH世話人- Aya's Everyday

障害者GH世話人なりたての元専業主婦Blog

人件費はケチっても無駄は省かない

2019.09 巾着田(埼玉)

uraya000.hatenablog.com

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私の勤務している施設は人手不足に陥っている。一か月以上前に求人を出したが年配者(60~70代)しか応募はこなかったし、30代未満の人が連絡をしてきても面接に現れることはなかった。「ずっと募集し続けているといわくつきの求人と思われてしまう」という事で一旦は募集取りやめにし、最近また募集をかけ始めた。

施設に利用者がいる限り職員数に関係なく生活は回っていく。今日は人手がないから手料理なしに、コンビニ弁当でもいいよね?なんていう話にはならない。8月には施設内にコロナの嵐が吹き荒れて職員もコロナ感染し数日間休むこともあった。利用者さんもコロナに感染して休むことがあるのだが、人手不足の上に利用者さんが昼間も施設にいると昼食の用意や雑用など、やることが増える。

私なんかは人がいないならば「これをしなくても死ぬことはない」という業務はとことん外す。優先順位を決めて業務をこなす。職員は物理的に分裂することができないし、人手が足らないのは自分のせいでもない。とはいえ利用者さんに人手不足を訴えても理解されないのだが。それはそれで仕方ない。だって利用者さんにもそのことは関係ないのだから。

業務を把握したり、人手不足を考慮した業務を割り当てたりするのが管理者や社員の仕事ではないのか。例えば利用者Aさんが日用品の買い物を隔週日曜日に職員の付き添いありきで行っている。しかし人手が足りず日曜日もいっぱいいっぱいなのだから「来週でもよい」という選択肢が必要なはずである。それをまた無理やり「今日行ってきてください」という指示が下る。

私がもしも行くことを命じられたら、自分の業務は多少放棄しても行くだろうな。でも別の使命感のある職員なら無理をして通常業務もすべてこなしたうえで同行するのだろう。無理をしたところで「みんな忙しいからね」とねぎらいの言葉もない。ストレスフルな環境だ。

例えば必要な買い物であれば職員一人で買ってきてあげてもいいのだ。そのほうがはやく終わるのだから。さきほども書いた通り人は分裂できない。時間は一日48時間でもない。ならば人手が足らないときはその時だけでも運営方針を変えればいいのではないだろうか。

それ以外にも無駄だなと思うことはたくさんある。例えば申し送りとか。本当の本当に注意すべきことだけを口頭で発言すればいいだけなのに、記録をほとんど読んでいる感じ。時間がかかりすぎるし、その「日常ありふれた行動の」報告は今日いるのか?と思う。この記録自体が細かすぎる。何時何分に何をしたとかね。記録の記述にきまりがあるのはお上に提出するものだから仕方がないとして、申し送りに何を読み上げるかはもっとスマートに行ったのほうがいいと思う。

そうやって無駄を省いていかなければならない。税金を使っているという点でもそう。人件費をケチるくらいなら無駄を省いて、臨機応変に対応すべきではないだろうか。私の勤務する施設ではようやくコロナも収束し日常が戻ってきたが、いろいろと思うことがある8月であった。

どっちが弱者なのかわからなくなる

2018.08 川崎・春日神

8月に入り施設職員や利用者さんにコロナの風が吹きはじめた。いつもギリギリの人員で回している施設では欠員が出ると大変なことになる。

欠員が出た場合でもほとんどの人がWワークをしている為に埋め合わせができない状態だ。なので常勤社員が埋め合わせを行う。休みなしに日勤や夜勤を繰り返す中年の常勤の疲労感の募った顔色。それにおかまいなしでコロナの流行は止まらない。

私自身は健康そのものであるが今以上に働きたくないのでシフト変更の対応はしないつもりでいた。でも、さすがに二人も一気に欠員が出たので代打で1日は出勤した。利用者さんは職員が足りなくても普段と変わらずに過ごしているが、利用者もコロナになってしまったので半数くらいはそれに伴い作業所出勤が無しになってしまった。そうした場合は平日であっても土日祝日と同じように利用者さんの昼食を作ってあげたり、日常の世話をする必要が出てきて職員の仕事量は増える。

そもそもコロナ前から職員数が足らなかった。求人を出しても応募に来るのは年配者ばかりとより好みしているもんだからなかなか雇われない。いい人材がこない?そりゃそうだ。他の仕事の時給が上がっているのにここは据え置きだもの。雇う側が雇用情勢の現状把握をできているのか、ただケチくさいだけなのか知らないが贅沢言ってたら人手不足のままだ。そんな中、コロナ嵐である。正直言ってマスクもしてくれない、濃厚接触の意味もわからない利用者さんがいる中で仕事をするということはハイリスクすぎる。ハイリスク・低賃金・肉体労働・・・親身になって話を聞いても自分の都合が良い返事以外は不穏になり、障害者であることを盾にしだす利用者さん・・・いいところがない(笑)

夫が笑って話した。「職場が近いというところ以外はオワッテルね」。その通りだ。そして、常勤も人手不足+欠員ありの状態であるにも関わらず普段と同じ業務を振ってくる。いやいや、そこは「やらなければならないこと」以外、適当に済ますことはできないのかい?まあ、こんなこと言っても無駄だろうな。手は2本しかない。人は分裂できない。ちょっとは配慮してほしい。まるでどっちが弱者なのかわからなくなる。そんな思いの中、今日も勤務日、頑張ってこよう。

制御不能なコロナ患者

2022.08 皇居周辺

私の働いている施設でも利用者さんがコロナにかかってしまった。

コロナに感染した重度の知的障害者さん。普段から発語が少なく、口から出る言葉は単語のみ。その人を隔離することは難しい。マスクすらつけてくれない。マスクを強制されても機能が乏しいので出来ないことは仕方がない。しかし、いざ目の前にコロナ患者となったその人が現れると本能的に避けたくなってしまう。病気を憎んで人を憎まずだが、3年間、コロナに一回もかからなかった身としては身構えてしまう。申し訳ないけどその利用者さんに「去ってくれ!」「近づかないでくれ!」と思ってしまう。それ故に笑顔もひきつってしまったが、利用者さんは私の態度に気づいてしまったようでちょっと悲しそうな顔をしていた。

3年間、病院や施設でクラスターが起きるというニュースを何度も聞いていたが、障害者施設でクラスターが出る事は防ぐのは難しいのかなと思った。感染した利用者さんに指導は難しいし、そもそも普段から常時薬を飲むような利用者さんもいるわけで免疫力も無さそうだと素人ながら想像できるので、いろいろと困難である。私は週2日しか働いていないわけだが、週5で働いていたり、似たような施設で掛け持ちしている人は自分の身が心配だろうな。といっても休むわけにはいかず、職員はコロナの波がくるたびに相当なストレスを抱えながら働いている。

施設内こそマスクが必要なのでは?

2021.08 調布

私が勤めている障害者グループホームの職員がコロナにかかった。別の体調不良な職員が休み、代打で入った施設長。当日から施設長も微熱があり、体調が悪かったようだが人手不足で無理やりシフトの穴埋めを行った。そして検査を行い「コロナ」と判明したのだ。

5月にコロナが第五類に分類されるようになってから、施設としては積極的にマスクを外していく方向で動いていた。マスクをつけている職員に対して、施設長は「まずは自分から」と率先してマスクを外して業務をしていた。でも、私は疑問がわいた。まず、コロナが蔓延し、経済が滅茶苦茶になり、効果があるのかないのかわからないワクチンを打ちまくり、多大なる税金を投下した理由の一つに「弱者を守る」ということがあったのではなかったか。

弱者がいる施設に勤務する人は、感染しやすく死にやすい人達がいる中で働くのだから、最後の最後までマスク生活をすべきではないか?正直、微熱の施設長と一緒の勤務日になっていた私は自分自身がコロナ感染してないか、発症しないか、ここ数日とても不安だった。私はコロナワクチンを打っていないし、夫にもうつしたくない。まあ、それから一週間は経過しているし1週間に1度行うPCR検査でも陰性が判明しているので安心しているが、明日の出勤することがちょっと怖い。

いくら人手不足でも体調不良のままに出勤するのはどうなんだろうか。施設の人に感染させまくったらどうするつもりだったのだろう。誰から感染したかなんて証明はできないけど、どうにかできないの?と、ちょっと怒りたくなる。

誰だって話を聞いてほしい

2019.07 葛飾八幡宮(千葉県)

大抵の人は自分の話を聞いてもらいたいものである。それも自分の話を。

障害者だって変わりはない。自分の話をたくさん聞いてもらいたいのだ。グループホームにいる障害者の人はほとんど友人がいない。グループホームで生活している以上、そのほとんどをホームと職場を往復するだけの日々になってしまうことが多い。そのために土日に余暇活動として移動支援を利用する人たちはいるが、結局はそこにお金が発生しているから接待プレイにもなりやすい。

グループホームにいる軽度の障害者さんの見た目は健常者とほぼ変わりがない。洗髪も散髪もし、毎日お風呂に入ってるし、そもそも働いているから人並みの清潔感は保っている。しかしやはりしゃべってみると何か違和感を感じるのだ。人間社会で生き抜くためには知恵を持っているよりも、いかにコミュニケーションが得意で社会に溶け込めるかが重要になってくる。特に日本の場合は個性や多様性を叫ばれていても、出る杭は叩かれがちだ。奇妙なことをすれば敬遠されてしまう。

人は話したい。話を聞いてほしい欲求がある。お金を出して気軽に話を聞いてもらいに行く人もいる。そういうサービスが沢山あることも含め、人がどれだけ話したいかというかがわかる。ただし、グループホームの中にいる「話したい」障害者さんはそういったことを利用できず、自分の「家」にいてひたすら話す相手を探している。一度話しかけられると最後。お願い、行かないで、聞いてよ私の話をという雰囲気になってしまう。

このことで私は何度も何度も残業になった。人と話したいという事は健常者も障害者も変わりない。本当に必要なのは行き過ぎた身の回りの世話よりも、話し相手だったりするのではないだろうか。家事をするという単純な作業より、人間相手のほうが難しいから目をそらすかもしれないけど、話し相手になってあげれる人が少なすぎるので、「話しやすい職員」に全てが集中されるのは本当に問題だと思う。

傾聴

2021.07 北区・北とぴあから

世話人として働いていると利用者さんから話を聞く機会がある。中度の障害者さん、自閉症の障害者さんは話しかけてもすぐに終わったり、まったく話しかけてこない人もいるが、軽度の知的障害者さんの中にはよく話しかけてくる人もいる。

話の内容は将来の事だったり、身内の話だったり。私からは話しかけることはないので、専ら話しかけられるのだが忙しいときには困ってしまう。でも相手が一生懸命話しかけてくるので傾聴に入るが話が長引く。日曜日や祝日勤務の日は利用者さんの作業所もお休みで在宅者が多く、お茶下さい等の細かい業務も加わって忙しい。更には移動支援に出かけた利用者さんがこちらの都合なんておかまいなしな時間に帰ってきたりもするから人手不足は極まる。

そんな中、利用者が自分の話を聞いてほしいと言わんばかりに話しかけてくるのだ。私は極力心がけている。相手の目を見て一生懸命話を聞くふりをしようと。もうこれは演技だ。頭の中では次にやらないといけないことが駆け巡っている。話が長引けば長引くほどに「私はあなたの話を聞いている暇はない」という雰囲気を消し去ることに精一杯になっている自分がいる。話を聞く中には相手が間違っていれば「間違っている」という事を指摘しなければいけない。自立支援を目的とした施設だから、他者の迷惑になるような思考を修正し、なるべく社会に融合していけるようにYESマンとして対応するのではなく、時には導かなければいけない。

利用者さんをお導きしようとしたが失敗し、ある日、常勤者に私に対する苦情がきた。その中身も「自分の障害特性をわかってほしい」というものだった。私はこれ以上にないくらい我慢しながら、細心の注意を払い、それはコールセンターでオペレーターをしていた頃より遥かに強く、相手を思いやりながら話している。話しているつもりだ、なんて不確定な言葉を使いたくないくらいに確実に行っている。それでそう言われてしまえばどうしようもない。

苦情を出してきた利用者さんは管理者に絶大なる信頼を寄せている。管理者をほめたたえる言葉を何度も聞いている。ここの施設の管理者は現場に出て生活支援員世話人と同じくらい利用者に接している良い管理者だ。そうであるならば管理者に自分の思いをすべて話したらどうなのだろうか、と思ってしまった。本当はこう思ってはいけないんだろうけど。

やらなきゃいけない家事、とても気を使って行う傾聴、その果てに「自分は障害者なんだから」と言われ、最低賃金で働く。これは働き手がいなくなるわけだ。今、若い人はこういった負の情報をすぐに得ることができるから、若い人はなおさら敬遠するだろうね、こういう仕事を。そして人手不足は延々と続いていく。仕方がないことなんだろうけど、何かあるたびに「障害者なんだから」という盾を使われたら、いくらなんでも・・・ね(笑)

虐待①:人は自分の「下」を作りたがる生き物

2021.07 アメ横

府中市の障害者施設での虐待がニュースになっている。

私が働いているグループホームでの目に見える虐待は全くない。利用者側も職員も表情が良いし笑顔が見える。客観的・主観的に見ても良い施設だと思っている。

障害者施設で虐待が発生する仕組みは何点かあると思う。

まず職員の生活の質と比較して利用者側のほうが恵まれているという事。いつも掃除されて清潔で大きめなお風呂や居間。居住する部屋も6畳はあって各々が好きなものを置いていたりしている。部屋が過剰に汚れてくれば世話人と一緒に掃除をしたりして、自分の住みやすい環境に保たれる。3食のバランスの良い食事が出てきて、うちの施設では手作りの朝食と夕食が提供されている。利用者さんが「仕事」と言っているA・B作業所。朝の出発時間はバラバラだが、必ず18時くらいには帰宅する。そこから広めのお風呂の湯船につかって、夕食を食べ、22時くらいまでは部屋で好きな事をしたり、職員や利用者同士で楽しく語り合ったりする。

それと対比して自分の生活の貧しさよ。どういう流れでこうなったかはわからないが最低賃金で独り暮らしをする苦しさ。夜勤があれば生活リズムも崩れる。生活するにはギリギリの賃金で、遊ぶこともままならない。施設で肉体労働をするだけではなく、精神労働も発生する。精神労働とは障害者さんの気持ちのコントロールの事だ。好きで勤めているならばいいが、人手不足の4kと言われる福祉業界に藁にも縋る思いで働いている人たちもいる。自分が幸せでなければ人の幸せを考える余裕なんてあるわけがない。かつての友人には妻や子供いたりして極まる惨めさ。自分より下をつくって安心したくなった目の前にいるのは弱者である人達・・・。

なんて勝手に想像して書いているが、こういう一例もあるだろう。この世界だけでなく人がマウントを取りたかったり、取られたりなんて話はいくらでもある。虐待しても良いというわけではないが、もうちょっと職員側の環境を整備したほうが問題は少なくなるような気がする。