-障害者GH世話人- Aya's Everyday

障害者GH世話人なりたての元専業主婦Blog

心底にいやになりました

2021.03 梅

前回、Blogを更新したのは1月末。

その間に良くして下さった職員が辞めてしまったり、利用者さんとトラブルにもなったのだが、まあまあなんとか乗り越えれる壁であった。しかし今月に入って耐えられない事件が起きた。内容はまた次の機会に書こうと思うが、この職も、常勤も、社会福祉法人という組織も、福祉職のすべてが嫌になってしまった。私はここを辞めたら、次は二度と福祉職に就かないことに決めている。心底嫌になってはいるけれど、利用者さんに日々幸せに過ごしてほしいという気持ちはかわらないので、しばらくは続けたいと思う。

頑張ってもできないことと、やってはいけないこと

2021.01 武蔵境駅付近

人はそれぞれの能力に限界がある。それは障害者も健常者も同じである。生きていく上では限界をこえるための目標を設定したりもするけれど、それがかなわぬことは誰にでもある。でも、頑張ってもできないことは良いとして、やってはいけないことをすることは良くないだろう。

人間は誰であっても社会の中で生きている。そこでは数々のルールがあり、小さいころからその地域や国によってさまざまな躾や教育がなされる。そうすることによって成人するころには良い悪いの分別がつき、社会生活で自立して生きていけるようになるのだ。人間とはいえ、生まれてから猿に育てられれば、人間社会のルールを知ることは到底できない。誰に育てられるか、躾や教育を理解できるかという要素は常識的な人間を育て上げる際に重要である。

私のいる障害者グループホームには親も知的障害を持っていたり、そもそも育児放棄したり、消え去ってしまった人もいる。知的障害があればその時点で理解力は健常者より乏しいものがあるのは承知していることだが、彼らは「やってはいけないこと」についての知識もない。簡単に言えば「人をぶつ」という暴力行為。職員がやったら一発お縄でも、障害者さんがやってもさほど問題にはならない。

また、障害者虐待防止法があり、私たちの「してはいけないこと」を阻止するための教育が虐待につながることもありえるという。インターネットには言葉が通じないくらいの障害者の方に対して暴力を受けたり、暴言を吐かれたりしたという書き込みが見られる。匿名性があるから愚痴等を書きやすいんだろう。これだけ多くの負の話を見ることができるのも匿名性を持つインターネット上ならではのことだろう。ということは、相当多くの施設で障害者さんから利用者に対する暴力・暴言があるということに違いない。

実際、私自身も暴言ではないが嘘を吐かれた。障害者さんが自分のミスで怒られたくないから私のせいにしたのである。それも事実を完全に捻じ曲げて。これは暴力ではないし、暴言ともいわれないだろうが、完全に「人を傷つける行為」である。そして、こういった行為は「してはいけない」。「されたらいやなこと」は表明してもわかってもらえないかもしれないが、私は障害者さんが相手とは言え、彼等が理解を示すまで態度として表明し続けるだろう。容赦はしない。彼らは「犬」でも「猫」でもない。「人間」だ。日本、東京という地域で生きていくために「してはいけないこと」「やってはいけないこと」を教えなければならない。そうでなければ地域社会で共生していくことは難しいだろう。頑張ってもできないことと、やってはいけないことは全く違う。私は精神障害の方が事件をおこして無罪になることも反対だ。今後、私がこの「表明」をし続けた結果どうなったかも、いずれここに載せたいと思っている。

元旦から仕事しなければよかった(後悔)Part.2

2019.01 池袋西武前

元旦。晴れやかな元旦は年末から続く嬉しいイベントの続きにある。美しい初日の出をむかえ、お雑煮を食べて昨年を語り、今年は何がしたいだとか、朝からそんな話を家族とする。近所の神社に初詣に出かけ、今年一年良い年でありますようにと願う。

今年の元旦は私のいつもと違っていて、元旦の大半を職場で過ごしたことだ。

uraya000.hatenablog.com

朝の引継ぎから晴れやかな気持ちは消え、私の元旦出勤の後悔を引き起こすのは午後の出来事にあった。

午後、軽度知的の利用者さんの愚痴がはじまる。それは新人職員に対しての愚痴だ。自分自身の人生でも沢山のミスをしているのに、他人のミスが許せないらしい。わざわざ大晦日に出勤してくれた新人職員に対しての愚痴は止まらない。辟易してくる。年末年始の特別手当もない職場で、家族もいる人が大晦日に出勤してきてくれる。これがどういう事なのか全くわかっていないらしい。新人に対しても容赦ない姿勢。彼女らのミスは一般人からしたらどうってことのないもの。それに対して重爆の隅をつつくように日ごろは自分が言われているようなことを愚痴として吐き出す利用者さん・・・。

私はここで覚醒した。今まで彼らの生育環境や人生の背景にまで思いを通し、彼らが「こうなってしまった(悪い意味で)」のは彼等だけのせいではないと強く胸に抱き、何か不愉快なことや何度も繰り返すミスも「それは仕方がない」と強く思い、彼らが毎日笑顔で楽しくいければいいのではないだろうかという思いで支援をしてきた。が、利用者さんに感謝の気持ちはなかったのだ。やってもらって当たり前なのだ。それどころか何かミスればそれを論えてくるのだ。

彼らに罪はない。生まれも彼らのせいではない。普通の人間に生まれてくれば、一人で生きていけたのかもしれない。しかし現状は人の世話をかりないと到底一人で生きていけない。そりゃ、私たち健常者だって一人では生きてはいけないけど、身の回りの世話などを常に必要とするわけではない。いつかは私もお世話してもらう事がくるかもしれないが、その時は常に感謝の気持ち忘れないようにしたいと思っている。

この件があった後も、私はその利用者さんの理不尽たる愚痴に対して前向きに、肯定的にとらえて、傾聴するように努力をした。「そういうあんたはどうなの?」と何千回思ったとしてもだ。しかし、更に決定的な事が起きて、その利用者さんとこじれる結果になった。それはまた次に機会で。とにかく元旦から出勤して「元旦なのに」という事でストレスフルになった。こう思うくらいなら来年も今も勤めているとするならば元旦は希望休を出そう。

元旦から仕事しなければよかった(後悔)Part.1

2021.1 池袋

ああ、後悔。新年二日目からこんなことを書かなくてはいけなくなったこともつらい。

年末年始のシフトは調整が大変だと思って「元旦は日勤ならでれます」として希望休を提出した。そして、やはり元旦出勤になった。

出勤前に連休満喫中の夫と近所の神社へ初詣。そしてグループホームに行って「あけましておめでとうございまーす!(笑顔で)今年もよろしくおねがいします!(元気よく!)」とご挨拶。ここまでは普通だった。

そのあと、年越しグループホームした夜勤職員2名と私との申し送りがはじまる。一人のA職員(40代後半女性)が、以前から不満だったB職員(20代後半男性)に対しての愚痴を申し送り中に話してきた(B職員はもちろんこの場にいない)。新年早々、開幕で愚痴である・・・。まあこれも客観的に見れば態度の悪いB職員を指導できない(操縦できない?)常勤社員に非があるのだが、1年前から続くA職員とB職員の問題はまだまだくすぶっていたのだ。B職員は態度が悪く、仕事でも「やっていないこと」が多い。B職員がなぜに厳重注意を受けないかというと、車で利用者を通院させる事ができる数少ない貴重な存在だからだろう。

その場にはA職員、私、常勤社員(女性:理事長の身内)がいたが、この常勤社員は「ことなかれ主義」なので愚痴を聞くだけに徹しているもんだから、A職員も不平不満が止まらない。B職員の仕事の出来についても言及されたが、常勤社員は「色々教えてもすぐ忘れちゃうのよね~笑」とはやく話を終わらせたいのか適当に返答するだけ。なので私は話した。「仕事云々の前に目上や先輩職員に対して態度が悪いのは、人としてどうなんですか?」と。常勤社員は黙る。ハッキリ言えば、B職員が変わらないのは常勤社員がなめられているだけだし、自分の優位性をわかっていてA職員にだけ態度を酷くしているのだ。確かに車運転できる職員は大事かもしれない。私なんて何もできないし。しかし同じ職員同士、みんな大事なのでは?A職員に対しての酷い態度を改善させないということは、職場の空気を悪くしているわけだし、今後、別のよろしくない職員の態度もろくに注意してもらえないという不安が広がる。とにかくA職員とB職員の問題を放置すべきではないと思ったが、多分、どっちかがやめるまではどうにもならないのだろうな。

こんなそんなで私の元旦出勤は朝からパワーが奪われるような展開になった。(Part.2に続く)

労働者の人権には配慮しない

2019.10 十条銀座

私の働いている職場では休憩がろくにとれない。時間・場所・突発的な依頼という3点の問題でとれない。

私の場合は8時間労働なので1時間の休憩時間が与えられているのだが、タスクをこなそうとするとどう頑張っても休憩が1時間とれない状態が発生する。昼食を作った後に通院同行(予約)とか。通院同行の時間は動かせないとして利用者の昼食の調理をどうにかできないかと考えるも、もう一人の職員も手が離せないし私が料理を放棄すると相手に負担が倍増するだけだ。ということでしぶしぶ昼食を調理する。そして通院同行。帰宅してからの暇はなく休憩はとれない。私自身も昼食が食べたいから、利用者の昼食を作っている最中に食べる。「食べながら」「作っている」という最悪の組み合わせだ。行儀も悪いし、早食い競争のようになっているし、何より不衛生。まず、こういう無理難題なタスクを組み込んでくる管理者や正社員がおかしい。こんなことをやらせて、よく心が痛まないな。多分、感覚が麻痺しているのだろうな。そして休憩時間が30分程とれたとして、休憩室がない。この短い間に利用者と同じ空間で食べるから、利用者の要求が飛んでくる。これをまた受け付けないといけない。「私も休憩中なので一切受け付けることはできません」と言えない。私が言ってもわからないし、闇雲に言っても相手が不快になるだけだ。ゆっくりできる空間がない上に、常時、お茶入れ等の要求を受け付けなくてはいけない。これらは本当にストレスがたまる。更に、休憩時間なのに外出することが許されていない。この事に関しては完全に法律違反らしい。

とても理不尽に思えたので私は上層に訴えた。私は一人でゆっくり休憩がしたいと。そうすると「ホームにいる限り利用者さんは世話人(私)を探し出して要求してきますよ」という答えが返ってきた。そこで私はこうも言った。利用者さんも平日はどこかで働いている。その際に休憩は取ってないのか?と言えば、絶対に取っているはずだ。ならば、あなたたち(利用者)が休憩をとるように、世話人さんも休憩が必要なんだよと教え込めばいいと。それを指導できないのですか?と。

最近、研修に何度か参加してきた。障害者さんの人権や権利について学んだ。介護者にも人権や権利はある。長年、介護職に就いていると「障害者にも人権があるように、私たち(就労者)にも人権がある」ということを忘れてしまうんだな。私はこの業界に就労してからまだ半年で、物事の見方も介護職脳になっていないから、どうしても疑問がわいてしまう。今は令和だ。そろそろ昭和っぽい働き方はやめていただきたいと強く思う。

もう一度、あの人に会いたい

2022.10 日枝神社(赤坂)

インターネット上で出会う人の多くは、はじめはどこの誰だかしらないし、それこそ性別すらわからない状態からはじまる。長期にわたって会話をしていたとしても、最後の最後まで名前すらわからない人も普通にいた。

私はかつてネットゲームのプレイヤーの一人であった。私自身、キャラクターに仮名をつけて、年齢も隠し、ネットゲームの世界に潜むように生きていた。沢山のプレイヤー(人々)と知り合い、会話をしたが、やっぱり最後まで名前も顔も知らないで関係が終わることもしょっちゅうあった。インターネットはパソコンの電源を消してしまえばもうおしまいである。現実のように利害関係があったり、避けれないコミュニケーションに属していれば無理して付き合う必要はあるが、インターネットの世界では名前を変えたり、パソコンの電源を落としたりすればすぐに関係は解消される。自分がネットゲームを引っ越せばそこまでの関係で、自然消滅する仲は沢山あった。なるべく自然消滅は避けたいから、お別れの時は感謝の言葉を告げて去るようにはしていたが、相手がそうしてくれるとも限らず、別れは突然にやってくることもあった。

もう5年前の話であるが、ネットゲーム上で仲良くしてくれた男性がいた。ボイスチャットを通じて毎日のように話した日もあった。明日も仕事があるという大人が3時や4時まで寝ないで通話したり、子供のように笑いあったり、時にはネットゲームで協力プレイをして作戦を真剣に練っていたり、難易度の高いゲームを夜明けまで一緒に攻略していたりと、本当に楽しかった。5年くらいの付き合いになったが、相手は大学生から社会人に、私はニートから専業主婦になった。お互いの生活はがらりと変わり、その男性は段々と仕事の愚痴しか言わなくなり、ネットゲームからは遠ざかっていった。多分、ゲームプレイする気力もなかったんだと思う。お互いを結び付けていたゲームをプレイしなくなり、ゲームなんかなくても会話が楽しかったのに、私はその人から離れた。仕事の愚痴を聞くに堪えれず、元々ジメジメした性格の人だったのだが、それが気になり始め、私から身を引くことになった。

それ以来、ネットゲームで知り合った人とあそこまで楽しい思いができることはなく、私の中では「彼で最後だったのだな」と悟った。年齢もあがるほどに何を触ろうとも新鮮味がなくなる。そして、プレイするネットゲームもすべて先が見えるようなものばかりで、ゲーム自体にも楽しみを感じられなくなってしまった。

私は忘れやすい人間である。ネットゲームもプレイしなくなって、彼のことも忘れてしまっていた。なのに突然、あの彼が夢にでてきたのだ。なぜか通話という形で現れた彼。それもうそうだ。だって私は彼の顔も見たことがないわけだし。私はあの時のことを謝罪した。本当は現実で言いたかったんだよ、この言葉を。あの時はわかってあげれなくてごめんねと。彼は許してくれた。というか、私の夢なんだから私の都合が良いように結末を描いているだけなのだ。通話途中に有耶無耶になって目が覚める。そこでまた彼のことを思い出し、わかってあげれなかったと悔やむ。本当に彼は大切なネットの友人で、大好きな人とわかっていたはずなのに、自分から関係を断ってしまったことは軽率すぎた。しかし、あのお別れから5年もたっているから、彼は私を忘れているだろう。夢を見るまでは私も彼を忘れていたように。

もう一度会いたいと思っていても、インターネットの世界ではかなり難しい。はじめにも言ったようにどこの誰だかわからないことが多いのだから。もう一度会えないなら、もう一度出会いたい。無理な話なんだろうけど・・・もう一度会いたい。

ブラック体質:資格手当ゼロ

2020.09 浅草

つい最近、移動支援研修に行ったのだが、そこで同業の人と話す機会があった。その人は50歳前後の女性。色々話すうちに「初任者研修」を受けておいたほうがいいと言われた。そういった資格は介護業界では必要なことがわかるが、私は特に向上心を持っているわけではない。とりあえず「なぜ?」という質問をぶつけると資格手当がでるからだと。時給が100~200円アップするよと教えられた。

ちなみに今の職場は介護福祉士の資格を持っていても1円たりともお給料は上がらない。それは職場の先輩の発言で確認が取れている。そのことを初任者研修をすすめてきた女性に告げると「えっ!?ブラックだよ、その職場」と驚いていた。そんなもんなのか・・・。

実はうちの職場は7月頃からバイト・パートの募集をしているがいっこうに採用されない。一応、応募者もいて施設の見学には来て、面接も受け「いつから来てください」と言われてもバックレたり、他を選んでいったりする。年齢制限にひっかかる60代以降の人の応募が多かったり。

この間、福祉職未経験の夫に求人広告を見てもらったが「これじゃ何するのかわかんないよね。」と厳しい言葉を吐かれた。未経験OKなくせに求人広告からは仕事内容が見えてこないし、最低賃金だから応募は控えようという気持ちになると。間口は狭まっていく。

私も半年働いて福祉職で生計をたてるのはおすすめできないことだけはわかる。貧困まっしぐら。Wワークをしてようやく人並みの生活できるが体はボロボロ。若い人は働いてはいけない。少子化が加速してしまうよ。

10月に最低賃金がまた上がる。あがったところで最低賃金設定で人員を募集し続けるのであろう。人が来なければ残った職員に負担はかかり、不満は募って離職を誘発する。そして地獄の悪循環。まあ、私は高みの見物で行き先を見守っていこうと思う。