-障害者GH世話人- Aya's Everyday

障害者GH世話人なりたての元専業主婦Blog

さようなら、中野サンプラザ

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私が生まれそだったのは豊島区だが、私の家からいつも中野サンプラザが見えた。私の住んでいた家は10階建ての建物。タワーマンションではないが、当時は周囲にそのような建物がなかったので見晴らしがよかった。南に新宿副都心、東に東京タワー、西に富士山、北にサンシャイン60が見え、この景色がお気に入りだった。

富士山のかなり手前に見える三角形の建物、それが中野サンプラザだった。天気が悪ければ隠れる富士山とは違って、中野サンプラザはいつでも見える目立った建物で、そこには行ったことがなかったけれど中野区という場所の目印にできた。

私がそこに住んでいた時から30年がたった。今はあの場所からどういう景色が見えるのだろう。あの景色を構成していた中の一つ、中野サンプラザの歴史が今終わろうとしている。

引きこもりに体力仕事はツライ

2021.06 日野市 平山橋から

世話人の仕事をしはじめてから約5か月経過しようとしている。我ながらよく続いたと感心しているが、体力面では依然厳しい。

たった週2勤務で何いってるの?(笑)と思われるのは承知している。が、15年引きこもっていた人間にとって、この体力仕事はとてもつらい。約7時間たちっぱ、これだけでも辛いが、風呂介助もツライ。畑仕事等と同じように若い頃からずっとそれをし続けていれば筋肉もついていて、年齢を重ねても楽なのだろうが、後一か月で半年であるものの、半年たったところで私にとってはまだまだつらいままだろう。

日勤と遅番、どちらが大変かと言えば断然遅番である。若い人たちに聞いても夜勤よりも遅番が大変と言っていた。この仕事をはじめてから体が常に疲れている。どんなに寝ても、栄養ドリンクを飲んでも、一日中休んでいても疲れが全く取れない。

私よりも年上の方がテキパキ働いているのを見て尊敬してしまう。私も一年くらい仕事すればよいのだろうか。体重は増えているが肝心の筋肉は、まだ増えていないようだ。

闇:従業員の私生活なんてどうでもいいんだ

2020.06

私の働いているグループホームでは一年に一回の日帰り旅行がある。毎年秋に近場の遊園地に行ったりしているようだった。その年の予算に合わせて行く場所を変えて行っている。今既に今秋の旅行についての話があがり、管理者は全員参加を希望していた。

私自身は5年前から計画している大阪旅行と被ってしまう可能性があるので、「参加が難しい人は挙手を」と言われた時に手を挙げた。可能性がある、というのは夫の休暇次第なのでというところがある。いけない理由を聞かれたので素直に大阪旅行の話をした。その時に管理者の口から出てきた言葉は

「大阪なんていつでも行けるじゃん!」

「こっちの旅行のほうが大事でしょ!」

言われた瞬間、まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかったので、え?どっちの、(大阪旅行か施設の旅行が大事)ですか?と質問してしまった。まさか私の旅行より施設の旅行のほうが大事と言われるなんて思わなかったから。頭が混乱している中、

「そりゃーこっち(施設)だよ!w」

という返答がきた。

・・・うーん。これってただの笑い話なんだろうか。

この大阪旅行は父が大阪の単身赴任先を周回する思い出旅行みたいなもので、父が関西から関東に戻ってきてから5年に1回と一緒に行っている大事なものだった。今年は帰ってきて20周年の3回目の旅行で、5年前から「次の旅行が楽しみだね」と二人で話をしていた。実際には父親が昨年の1月に亡くなってしまったからかなう事はなかったけど、それでも父の代わりに夫がきてくれると話してくれたし、父が行けなかった旅行を二人で計画した時期に行こうと思っていた。正に弔い旅行だった。

私にとってはこれほどまでに大事な旅行を、その内容を一切話してないとは言え「施設の旅行の方が大事」と一蹴されてしまったことを非常に残念に思う。その後、管理者からは発言の謝罪があり、ご家族がいる方はご家族とも合わせないといけないのに申し訳ない、ともあったが、一度言われたことは忘れはしない。

「なるべくみんなで行きたくてさあ」

いや、違う。付き添いの人数が足らなくなるからだろう?誠意のない意識で誠意のある言葉を吐かないでほしい。醜い嘘である。

人々はなぜ働くのだろう。金のため、生活のため、そうであろう。でもその先がなければ絶望しかない。仕事場に夢を見るかといえばそうでもない。利用者の生活の質が向上しても、従業員のそれが低いままではね。従業員に対する軽視が日々の虐待のニュースにつながってるんだと実感した。そして、福祉が長い人は「それが普通」と思う事も世間の非常識であることには気づかないこともよくわかった出来事であった。

沈黙の多すぎる定例会議

2022.06 府中郷土の森のアジサイ

昨日は定例会議だった。正社員・パートの全員がリビングルームに集う。毎回欠席者は一名くらいなもので、参加率は高い。

私は3回目の参加だったのだが毎回思うことがある。これは会議ってものの体をなしてない気がするのだ。井戸端会議のようなもんなのだ。稚拙すぎる。まずほとんどの人が発言しない。指名されても沈黙が続いた後にまとまらない発言をしたりする。

例えば利用者一人一人について最近の様子を語る時間があるのだが、司会が「〇〇さんのご様子は最近どうですか?」と発言しても誰も何も言わない。司会の女性(正社員)も不慣れなのか長い沈黙を打開しようとしない。気まずい雰囲気が流れる。以前はどうしていたのかしらないが、発言する人は大体固定される。それ以外の人はだんまりを決め込んでいる。

だから、私は次回から沈黙が発生する場面では必ず指名して発言させるようにしたほうがいいと思った。喋るのがへたくそな人もいると思うから、事前に紙に書いたものを読み上げても良いということにして。そうすればみなさんの意見が聞けるのではないだろうか。何も思ってない人も、もちろんいると思う。それはそれでいいのではないだろうか。「特に変わったことはありません。お元気でお過ごしされてます」こんな感じで回答すればよい。言いたいことがある人は指名されなくても発言するのだから、何も言わない人の意見がかすれてしまう。それを防ぐために事前に題材を与えておくのは良いと思う。

まあ、皆さんはここが長いのであえて発言する事もなくなってしまったのかもしれない。日々、小さな問題は起きているが慣れきってしまえば、そのことすら日常として溶けていく。私は福祉業界が初だったし、勤務開始してから半年も経過していないから新鮮な思いも沢山でてくるのだが、この業界が長い人にそれを求めたところでどうしようもない。

とにかく沈黙が多い。時間だけが無駄に過ぎる。ここにも時給が発生している。原資は税金だ。昨今、社会保障費が上がり続けている。私の夫もそれについて怒っているから、なるべく無駄遣いしてほしくない。スマートな運営をお願いしたいので、私は常勤社員に対し、会議進行時の「指名発言制」を提案したいと思う。

そんな時給じゃ人はきませんヨ(2)

2022.06 高幡不動アジサイ

uraya000.hatenablog.com

今から20年前、かつて私が非正規の職探しをしていた時、私は「時給」で職探しをしていた。若い女性で一番稼げるとしたら水商売一択だと思うが、私はそれで働きたいと思っていたわけではないので、ずっと触っていたパソコンを使った仕事をしようとネットで仕事の検索していた。その先に見つけたのがインターネットプロバイダーのコールセンター受信業務・・・。

提示されていた時給はアルバイトで1,100円。2002年の東京都最低賃金が710円程度だったからそれよりも400円多い。当時はただそれだけでコールセンター業務について、何もわからなかったから沢山の迷惑をかけて、成長し、次のステップとすすんでいった。2年後はアルバイトという形態から離れて派遣社員となり、大手パソコン機器メーカーでのコールセンター修理受付業務に就く。時給は1,700円だった。インターネットプロバイダー派遣社員も探してはいたけれど、そこらへんも軒並み1,700円だった。最後に職探しをした2009年頃には1,400円台まで下がっていたけど、それでも楽でまだまだ高いほう。

私が最後まともに働いたパソコン修理受付業務(コールセンター)は土日勤務に関して時給25%UPだった。それは多分恵まれていたのだろうけど、私自身は若いことや、自分が所持するコールセンターの電話対応技術と、パソコン知識に価値を置き、最低賃金では絶対働きたくなかったし、自分自身の時間も安売りしたくなかったからなるべく高いお時給をくれる場所をネット検索した。

それが若い人の取る行動の「普通」だったかもしれないから、障害者施設で最低賃金で働いてくださいと言っても「割に合わない」と思う人が多いだろうな。なんせ今はなんでも検索できる時代。良いこともわかれば、悪いこともわかる。悪いことは良いこと以上に強烈に頭に残るから、福祉の仕事はよほどの志がある人以外は応募してこないだろう。また身内に障碍者の人がいたり、既にそういう施設で働いている人がまわりにもいて「私にもできる」と思うような感覚があれば別だけど、未来ある若い人が印象の悪い福祉の仕事にあえて飛び込んでこないだろう。もし志があるならばそれなりの学校に行って、正社員として働きだすだろうし。

施設の管理者はこういった。「この仕事”程”やりがいがある仕事はないと思っています」ずいぶん自信をもって言っていたが、そんなことを思う人は稀だろうね。じゃあ他の仕事にやりがいがないと言えばそうではないから。それに私自身は非正規の仕事にやりがいを求めたことは一切ない。ここで働いているのはたまたま受かったから。そして私は20年近く遊んで暮らしていたから、自分自身の能力も地に落ち、自分の時間の価値もないと思っているので最低賃金で雇われても特に文句はない。ただそれを外の普通の人に求めても返ってくるものはないだろう。

類は友を呼ぶだから、異様な感覚の職場には異様な人しかこない。もしくは「ここしかない」と思ってる年寄りの生活困窮者だったり。ただ、その応募者をありがたく思わない限り、こういったところで長く働いてもらえるわけがない。募集にあたってもうちょっと謙虚に考えた方がいいなと思った今日この頃。

そんな時給じゃ人はきませんヨ(1)

2021.06 調布市 神代団地

うちのグループホームが求人広告を出している。応募の電話をかけてくるのは60後半の人や70前半のご老人が多いのだが、うちの施設では体力仕事もあるので60歳未満の方が欲しいらしい。ということで年齢を聞いては即お断りの状態である。

そんな時、ようやく30代半ばの男性介護福祉士が応募してきてくれた。施設見学もし、夜勤専という契約もし、さあ初日・・・現場にはこなかった。管理者からその人に連絡しても繋がらず、いわゆる「バックレ」というやつである。

次に18歳の女性からも応募があったが面接日に現れなかった。私も若い頃にはよく「バックレ」ていたので人様の事を言えないし、まあ仕方ないよねという気持ちもした。なんせ最低賃金で障害者さんの世話をすると聞いたら、多数に応募していたとするとここで働くという選択肢はなくなると思うし、男性介護士の夜勤1勤務の平均賃金が1日20,000円~なら、ここの施設で出すのは15,000~17,000円だから選ばないだろうな。老人介護より仕事はくらべものにならないくらい楽だと思うけど、賃金の多い少ないは大事だよね。

では、今現在、どういう人が施設で働いているのか。身内に障碍者がいたり、氷河期世代年越し派遣村あたりの年から介護に流れていついた人、理事長の身内だったり、親族に障害者関係の仕事に従事している人がいるといったり、とりあえずいきなり障害者関連の施設を選んだのは私くらいである。

管理者がポツリと言い出した。本当に人がこない。以前はすぐに応募者がきたのにと嘆く。いや、まあそりゃ、最低賃金で集めようとするのがちょっと(笑) うちの管理者さん福祉業界が長いし、普通の感覚がわからなくなっているのだろうな、かわいそうに。私は人がいてもいなくても自分の時給の範囲内でしか仕事をしないし、困りもしないからまあいいかと静観している。

GH内恋愛

2022.05 神代植物公園の薔薇

障害者グループホーム世話人になるときに理事長や管理者から示されたことがある。それは職員同士での恋愛禁止という規則だ。私自身は既婚者であるし聞き流した内容になるが、今になって疑問に思う。なぜならばグループホーム内にカップルが存在したからだ。

恋愛は必ずしもうまくはいかない。恋愛にまつわる物語が幾千幾万も生まれているのは、簡単にうまくいかないからだと思っている。熱々に愛し合うカップルが家族の形になることもあれば、お別れして別々の道を歩むこともある。健常者と障害者の恋愛から結婚にいたった人数の差はしらないけど、健常者同士で結婚したとて3組に1組は別れる(離婚)というデータはある。結婚したけど別れましたという人たち以外に、結婚して別れたいけど事情があって別れる事ができませんという人たちも潜在的離婚者である。

職員同士の恋愛が禁止されているのは、恋愛が終わった後の事後処理的なものが大変だからなんだろうと容易に想像はつく。同じ職場同士のカップルが破綻したとして、その後もなかったことのように働ける人はほとんどいない。周囲が気を使ったり、本人同士も避けあったり、問題を生む。規則は問題が生じるのを防ぐために存在しているのであり、職員同士の恋愛を禁止にすること自体、ある程度は理解はできる。

しかし利用者同士の恋愛は可能なわけだ。彼らがカップルになった過程も知らないし、恋愛が禁止ではない規則を制定したのが誰なのかも私は知らない。ただ、これほどに問題を引き起こす要素が盛り込まれた恋愛だ。今現在おこっている問題は利用者カップルの男性の方が彼女にまいっているということ。せめてグループホームが別ならば良かったという後悔の言葉すら出てくる事態になっている。

グループホームに入る人たちの中には、ここ以外のどこにも居場所がない人達もいる。また、グループホームが嫌になったから別のところに行こうと思い立っても、すぐにはそんな事はかなわない。そんな中、カップルである彼らが破綻したらどうなるのだろう。部屋の階は男女別れているとて一つ屋根の下に共同生活をしている。つらい結果にならないとよいし、二人を気遣って職員や他の利用者が精神的負担がかからないといいがそうもいかないだろうな。私がもしもグループホームを経営するとしたら絶対に恋愛禁止にするだろう。面倒ごとを避けるという意味でもそうだし、破綻した後の責任が取れないからだ。今、ゆらゆらと揺れる二人、最終的にはうまい方向に行けばよいが、なかなか難しいだろうな。