-障害者GH世話人- Aya's Everyday

障害者GH世話人なりたての元専業主婦Blog

誰だって話を聞いてほしい

2019.07 葛飾八幡宮(千葉県)

大抵の人は自分の話を聞いてもらいたいものである。それも自分の話を。

障害者だって変わりはない。自分の話をたくさん聞いてもらいたいのだ。グループホームにいる障害者の人はほとんど友人がいない。グループホームで生活している以上、そのほとんどをホームと職場を往復するだけの日々になってしまうことが多い。そのために土日に余暇活動として移動支援を利用する人たちはいるが、結局はそこにお金が発生しているから接待プレイにもなりやすい。

グループホームにいる軽度の障害者さんの見た目は健常者とほぼ変わりがない。洗髪も散髪もし、毎日お風呂に入ってるし、そもそも働いているから人並みの清潔感は保っている。しかしやはりしゃべってみると何か違和感を感じるのだ。人間社会で生き抜くためには知恵を持っているよりも、いかにコミュニケーションが得意で社会に溶け込めるかが重要になってくる。特に日本の場合は個性や多様性を叫ばれていても、出る杭は叩かれがちだ。奇妙なことをすれば敬遠されてしまう。

人は話したい。話を聞いてほしい欲求がある。お金を出して気軽に話を聞いてもらいに行く人もいる。そういうサービスが沢山あることも含め、人がどれだけ話したいかというかがわかる。ただし、グループホームの中にいる「話したい」障害者さんはそういったことを利用できず、自分の「家」にいてひたすら話す相手を探している。一度話しかけられると最後。お願い、行かないで、聞いてよ私の話をという雰囲気になってしまう。

このことで私は何度も何度も残業になった。人と話したいという事は健常者も障害者も変わりない。本当に必要なのは行き過ぎた身の回りの世話よりも、話し相手だったりするのではないだろうか。家事をするという単純な作業より、人間相手のほうが難しいから目をそらすかもしれないけど、話し相手になってあげれる人が少なすぎるので、「話しやすい職員」に全てが集中されるのは本当に問題だと思う。