-障害者GH世話人- Aya's Everyday

障害者GH世話人なりたての元専業主婦Blog

何がなんでも死なせたくない母

2020.12 八王子

uraya000.hatenablog.com

私の祖母は99歳で亡くなった。最期は脳梗塞で意識不明のまま1週間病院で過ごして去っていった。90歳を超えるまでは自分の事は全て自分でしていて、リウマチを発症してからは要支援2の介護を受けていた。95歳になった時に圧迫骨折をするまでは背中もピンっとはっていて、歩くのもはやく、絶対に100歳まで生きるだろうと思われていた。

 

しかし、96歳を超えてからだろうか。食も細くなり、活動力が目に見えて低くなっていった。私は一か月に一回程度、祖母の家に行っていたが脳みそはまともでも、体はどんどん衰えていくのがわかった。祖母は60歳まで働いており、定年退職して熟年離婚して独り身になってからは自由気ままに旅行をしたり、植物園やバラ園にいったり活動的な人だったのである。そんな祖母が家から一歩も出なくなる日が多くなっていた。生前、私は無神経な質問をしたことがある。おばあちゃん、外にでかけたいと思わないの?この質問は「いつも家にいてつまらないのでは?」という事を聞きたかっただけ。祖母の回答は「昔、沢山の場所に行ったから、いいのよ」。今は思い出を食べながら生きているということである。

 

私の母は要支援2の祖母の家に1時間半かけて2日に1回通っていた。祖母のもとにヘルパーの人は来ていたけれど、それだけでは心配なので娘である自分が出向いてお世話をしたいのだと。母は家事をしっかりとする人だから家の家事と祖母の世話で忙しい人となった。人間には24時間しかない。そのうち、起きてられる時間は16時間くらいとして、自分の為にも人のためにも使える時間はその中の何時間になるのだろうか。母が祖母の家にいるときは忙しなく祖母の世話を焼き、家に帰ってからも忙しなく家事をする。多分、母本人は気づいてないだろうが、その状態の母は忙しそうで、他の家族の適当な家事が普段以上に目にとまりイライラしているように見えた。母が身の回りのお世話をいくら頑張っていても、祖母が一番必要だったのは話し相手であって、完璧な家事をしてくれる人ではなかったのに。

97歳をこえた頃、祖母はお迎えを望むようになった。祖母は長女として生まれ、4人姉弟の中、自分が一番最後まで生きる結果になった。兄弟仲はとても良かったようで、それぞれの家庭を持ち、離れた場所に住んでいてもお互いを思いあって生きていたようである。年齢的に一番先にあの世にいくはずの自分が、まさか妹や弟を見送ってまだまだ生きているとは思わなかったのではないだろうか。自分より年下の人も次々に死んでいく。祖母は長生きしたいと思っている人ではなかった。

私は死ぬということをよく調べていて、人の死に方の理想はどのような状態であるのかをよく考えている。人は死ぬ前には食欲がなくなり、よく眠るようになると、あるサイトには書かれていた。数か月間、祖母はその状態になっていた。枯れるように死んでいく。このまま亡くなったら、これは理想な死に方なのではないかと。それなのに母は無理に栄養剤を飲ませていた。母の意思と違う事を話せば面倒くさい事になるので、祖母は母に従って、色々なリウマチの治療をしたり、長時間かかる病院通いをしていた。命を無理に延長させた結果が脳梗塞で、倒れてから24時間は床に転がっていた祖母を見る事になったとすれば、それは本当に悲劇である。

もうお迎えが来てほしいと願う祖母に、まだまだ生きていてほしいと願う母。何が正しいかなんでわからないけど、こういう家族って沢山いると思う。祖母の場合はまだ意思があったけど、遠出もできないくらいに体は弱っていた。毎日、どんな思いで過ごしていたのだろうか。すべてが不自由になっていく中、ほんの少しでも楽しいことがあれば良かったとは思うのだが。何もわからなくなっている人、自分でご飯も食べれない人、天井を見ているだけの人、排泄を他人任せにしている人・・・しかもそれらの状態に改善が見込めない場合はたとえ家族であっても生を強制してはいけないと思う。生前、どんな状態であっても100歳まで生きたいという話をしていた人なら別だけど。

最近、認知症介護のYoutubeを見ていて思ったのは、ずっと叫び続けたり、おむつ交換をされたり、寝たきりで、それでモザイクなしにYoutubeに映像を流されるなんて虐待でしかないなと思った。もちろん、介護している家族に罪の意識もないし、善意しかないんだろうけど。それがなおさら恐ろしく感じる。そんな姿を晒しあげられて、それでもまだ生きていなくてはいけないなんて。

私は人間に生まれてきたのだから、人間として死んでいきたい。そして、誰かのために生かされるのではなく、自分のために生きていきたい。それも一つの高齢化社会への終止符への道だと思っている。