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障碍者GH:六日目(2) 悲しき認知症という不治の病

2019.03 後楽園遊園地

uraya000.hatenablog.com

以前より認知症関係に興味があって色々と動画を見たり、サイトをみたりしていた。そして、親が認知症にならないように願ったり、老人ホームに入居してから認知症になってしまった祖母の事も思い出した。

100歳を目前にして亡くなった要支援2の祖母(母方)の頭は脳梗塞で倒れるまでハッキリしていた。生前に聞いていた話だと戦時に結核で若くして亡くなった妹を除いては、祖母自身も妹・弟も全員長生きで認知症にはならなかったという。祖父(父方)がパーキンソン病で亡くなってからは老人ホームに入った祖母(父方)。入居して7年目に亡くなったが5年目くらいから言動が曖昧になったり、攻撃的な言葉をかけてきたりして認知の症状があらわれていた。私が「うるさい人ね」と言われたことの衝撃は未だに覚えているし忘れられない。あんなに優しく、控えめな祖母から出たと思えないあの強烈な言葉。人の言葉は脳みそでできているんだから、脳みそが変容してしまえば出てくる言葉も変わってしまうのだ。悲しいね。祖母がいた老人ホームには何度も訪問したことがあるが、あの環境下では認知症になるだろうなと思えるくらいの静かで退屈な場所だった。だから認知症になるのも当然と思っていたし、実際に亡くなる一年前はほとんどが寝ているようで動かない状態だった。

障碍者グループホームに入居されている私の母と同い年の高齢の利用者さん。その人もかつてはお上品で、長らくお勤めされ、おとなしい人だったという。それが今や人に手をあげるようになってしまった。誰だって認知症になんかなりたくない。どんなに品行方正でも認知症になってしまってはおしまいだ。自分自身が制御できなくなってしまう。なんて悲しい病気なんだろう。そうなる前の当人を知る人はつらいだろうな。どんどん変わっていってしまうんだから。

人間は脳みそで動いている。動物と違い、調理されたものを道具を使って食べ、排泄物を定められた場所でし、清潔にする習慣を持っている。これらが失われてどう生きていこうか。私がもし認知症になってしまったら、治る薬がないのであれば自分自身を好きでいる間に死にたいと思う。その覚悟を今からしている。本当に本当にこれは悲しい不治の病なのだ。